活動報告

第19回研究会「100年経営と石田梅岩~石門心学が永続経営に与えた影響~」

2019年4月16日

2019年4月5日(金)、第19回研究会『100年経営と石田梅岩~石門心学が永続経営に与えた3つの影響~』を開催いたしました。
今回の講義では、江戸時代から現代に至るまで継続して石門心学を教えている「一般社団法人心学明誠舎」理事の清水正博さんを講師に迎え、日本に長寿企業が多い要因として語られる“石田梅岩の石門心学”が与えた影響についてお話を伺いました。


日本を「長寿企業大国にっぽん」たらしめたのは、石田梅岩の石門心学
石田梅岩は江戸中期に活躍した思想家で、士農工商制度が根強い時代において“商人の利益主義”を肯定した「商人道」を説いたことで知られています。私達100年経営研究機構では、石田梅岩を日本で初めて「商業倫理」を体系化した人物と認識しており、日本が「長寿企業大国日本」に成り得た要因の一つに石田梅岩の教えた「心学」があると考えています。

講師の清水さんが“石田梅岩”を学ぶきっかけとなったのは30代の中頃。当時小売業を営むイズミヤに務めていた清水さんは、中期経営計画の策定を任されることとなり、計画を立てるのであれば商業史を紐解かなければならないと、魏志倭人伝からさかのぼり様々な著作に触れる中で、日本の小売業に大きなイノベーションを起こした“石田梅岩”を知りました。
現在では、石田梅岩の精神を通じた経営コンサルティング業務を行う大和商業研究所を立ち上げ、永続的に栄える企業を増やすことをコンセプトに活動されています。 また、清水さんが理事を務める「心学明誠舎」は1785年に心斎橋に創立。江戸時代には石門心学を学ぶ講舎が全国に180ほどありましたが、現代まで学びを継続しているのは「心学明誠舎」のみ。年間に10日ほど勉強会を開催し、石門心学を通じた経営哲学を教えています。


江戸時代の商人を勇気づけ、現代の名経営者も学ぶ「石門心学」
石田梅岩は貞享2年(1685年)、丹波市の農家の家に次男として生まれました。農家の次男は丁稚奉公へ行くか、お寺に入るか、養子に入るという時代。梅岩は11歳で京都の商家へ奉公にでますが、勤め先の経営状態が悪化し4年ほどで帰郷し、農業へ従事します。その後、兄が本家から出戻った影響から23歳で再び上京し、呉服商の黒柳家に務めました。奉公先の主人は大変面倒見の良い人でしたが、梅岩はそれに甘んじることなく日々仕事に精進し、常に懐に本を持ち、早朝と深夜に読書を続けたと言われています。
35-6歳の頃には、生涯唯一の師である小栗了雲(おぐりりょううん)と出会います。長年求めていた師を得て、梅岩は遂に悟りを開きました。そしてそこで知り得たことを皆にも伝えたいという想いから、講舎を開くに至ります。
梅岩のユニークなところは、もともと武士や学者ではなく独学で学びを積み上げてきたという点です。そのため梅岩は「学びたい人は皆学ぶべき」という信条を持ち、講舎では女性も積極的に受け入れました。今でいうダイバーシティを実践していたのです。これは当時の時代性を考えると大変画期的なことでした。

「商人道」では、「商人が勤勉・実直に働いて富をなすことは正当な行為であり、利益を得ることに堂々と胸を張れ」ということを主張しています。梅岩が教えを説いた当時は、荻生徂徠の全盛期で「生産活動に従事しない商人は潰れても構わない。商人はあぶく銭を稼いで富を蓄積しているけしからん奴だ」という見られ方が一般的な時代でしたので、梅岩の思想は商人を大いに勇気づけるものでした。
勿論、世間の風評通り“一時栄えて没落していく商人が多い”というのも事実でしたので、その点は「悪銭身につかず。」と講舎や著書で繰り返し戒めていました。

この石門心学に影響を受けたのが、渋沢栄一や松下幸之助、稲盛和夫です。また関西の老舗企業を中心に、石門心学の教えを家訓として定めている企業は多く、心学の精神が日本の長寿企業へ直接的に影響を与えている事例として、半兵衛麩、商業界、叶匠壽庵、ツカキグループの事例を清水さんよりご紹介していただきました。 最後に、石田梅岩の「石門心学」は経済合理性を備えた道徳であり、その有効性は江戸時代及び明治維新における日本の発展の歴史が立証しているとまとめ、今後の令和の世にも普遍的に必要な学びであると清水さんは強調しました。


研究会終了後は講師を交えて懇親会を行い、懇親会には当機構の理事、会員、事務局、研究会参加者、約20名が参加し交流を深めました。

次回は、2019年6月に当機構最高顧問の野田一夫と副代表理事の大高英明による特別研究会を予定しております。スケジュールが確定しましたらご案内をいたしますので、お待ちください。