活動報告

【第27回100年経営研究会】長寿企業が持つ信頼と経験を活かし、日本酒を世界へ(登壇者:1902年創業/株式会社南部美人)

2021年8月30日

2021年8月24日(火)、第27回100年経営研究会を開催いたしました。
今回の研究会では、1902年に創業された株式会社南部美人の代表取締役を務める久慈浩介氏をお迎えし、「南部美人で守り続けられている家訓や日本酒への思い、東日本大震災やコロナなどの危機の中で大切にされた考え方」などについてお話しいただきました。
また、100年経営研究機構からは当機構顧問で静岡県立大学教授の落合康裕先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である久慈社長の経歴からご紹介いたします。

 

<登壇者プロフィール>
株式会社南部美人
代表取締役社長
久慈浩介(5代目蔵元)

 

昭和47年5月11日生まれ。岩手県二戸市の福岡小学校、福岡中学校、福岡高校を卒業後、日本酒の醸造のスペシャリストが集まる東京農大醸造学科に入学。大学2年から4年まで宮城県仙台市の勝山企業株式会社酒造部で「大学生の大吟醸」を東京農業大学醸造学科の小泉武夫教授の指導で造る。
大学卒業後、東京の南部美人総代理卸の株式会社小泉商店で研修を経て、南部美人に戻り、製造部長として酒造り全般を指揮。2年目に初めて自分で担当した大吟醸が見事全国新酒鑑評会で金賞を受賞。
1年を通して全国各地を飛び回り南部美人と日本酒の良さを伝える「南部美人ライブツアー」を開催中。また頻繁に全国の蔵元の仲間達とフランス、アメリカ、カナダ、香港、台湾などで酒の会や日本酒セミナーを開催している。その他早くからインターネットホームページを立ち上げて、全国の南部美人ファンの皆様に毎日リアルタイムな情報公開をしている。近年はFacebook、Twitter、mixiなどSNSも利用し、精力的に情報発信を行う。

 

現在ではテレビをはじめラジオ、雑誌など数々のメディアで紹介されている。またラジオ番組のDJとしても活躍。
2008年12月には母校である東京農業大学の経営者大賞を受賞し、最年少で客員教授に就任。
2012年には地域づくり総務大臣表彰も受賞。2014年には糖類無添加リキュールの製造方法が東北地方発明表彰「特許庁長官奨励賞」を受賞。
2013年12月より株式会社南部美人代表取締役社長に就任、現在に至る。

 

 

第1部:トークセッション(株式会社南部美人 代表取締役 久慈浩介 氏 × 落合康裕 顧問)

今回のトークセッションでは、「株式会社南部美人の家訓や日本酒への思い、東日本大震災やコロナなどの危機の中で大切にされた考え方や実際の対応」などについて久慈社長よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

ポイント

1. 量ではなく、品質の良いお酒を作る。伝統を守り、久慈社長が思う南部美人を実現
2. 南部美人の未来のために。人種・言葉・意識思想の壁を超えて日本酒を世界へ
3. 長寿企業だからこそ持つ信頼。東日本大震災時の経験がコロナ禍で活きる

 

 

1. 「量ではなく、品質の良いお酒を作る」伝統を守り、久慈社長が思う南部美人を実現

南部美人では創業から100年以上経った今でも、創業者である曽祖父・末太氏が掲げた唯一の家訓「品質一筋」の考え方が守り続けられており、過去には「品質一筋」という伝統が南部美人を長寿企業へと導いているとも感じられる出来事がありました。
昭和40〜50年代、当時は政府によって酒蔵合併が推し進められ、二戸市でも3件あった酒蔵のうち2件が合併し、大手酒蔵の下請け工場として日本酒を製造していました。

 

しかし、当時の社長であった3代目秀雄氏は、「量ではなく、品質の良いお酒を作る」という考えから合併という選択をせず、先代から受け継がれてきた「品質一筋」の考えを貫きました。

 

その結果、日本酒の売上が伸び悩み、下請けとして製造していた他社が経営悪化に陥っていた時でも、自社ラベルで販売し続けた南部美人は生き残ることができ、現在は100年以上続く長寿企業となっています。
そして現在も「品質一筋」という伝統を守るとともに、「南部美人」という銘柄から想像される、飲んだ時に“美しい”と感じるようなお酒を突き詰められています。

 

 

2. 南部美人の未来のために。人種・宗教・思想の壁を超えて日本酒を世界へ

南部美人は海外への輸出も行っており、世界最大のワインコンテストである「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の日本酒部門で、1245点の醸造蔵の中でチャンピオンに輝く(2017年)など、国内外のコンテストでも多くの賞を受賞されています。
このように輝かしい功績を持っている南部美人ですが、実は先代まで海外輸出が行われていませんでした。

 

久慈社長が海外輸出を新たに始めようと決断した背景には、久慈社長が高校生の時に行った海外留学で、日本酒や日本の文化に対する国内外の考え方の違いに直面し、久慈社長自身の日本酒や家業に対するイメージが変わったことが影響しています。
アメリカ留学の経験から、家業に戻った後も「南部美人を海外に持っていきたい、輸出したい」という思いが強く、当時は小さい蔵が単独で海外に輸出するのは困難であったことから、まずは若い世代で日本酒輸出協会を作り、日本酒を海外に輸出しながら日本酒の良さを伝えていくことから始めます。

 

その結果、現在では55カ国、南極大陸以外のすべての大陸に南部美人の輸出を行っており、アフリカのウガンダに輸出した様子はNHKにも特集されました。

 

また輸出以外にも、
・ユダヤ教の食事認定であるコーシャの認定を取得(2013年)
・イギリスのビーガンソサイアティから世界で初めて日本酒でビーガンの国際認定を取得(2019年)
・NON-GMOの認定を取得(2020年)
など、より多くの人に日本酒が受け入れてもらえるように国際認定も取得しており、現在は南部美人以外の日本酒の酒蔵にも同様に国際認定を取るように促進されています。

 

このように久慈社長は自社の商品だけでなく、日本酒そのものがフードダイバーシティとして人種・宗教・思想の壁を超えて世界に浸透し、ワインのように世界各地で広く飲まれるお酒になることを目指して、日本酒業界全体のことを考えながら幅広く活動されています。

 

 

3. 長寿企業だからこそ持つ信頼。東日本大震災時の経験がコロナ禍で活きる

最後に、東日本大震災と新型コロナウイルスへの対応についてもお話しいただきました。
東日本大震災では、煙突が崩れ落ちた影響で南部美人にある2つの井戸のうち一つが潰れてしまったほか、買い物の制限や都内の自粛要請などによってアルコール類が山のように売れ残るという経済的な二次被害も経験されました。
また津波に飲まれて亡くなった友人もいる中、生き残った自分たちに何ができるかを考え、YouTube「ハナサケニッポン」にて被災地の状況についての情報発信も行われています。

 

苦しい状況下での復旧活動や情報発信により、東北では東日本大震災によって潰れた酒蔵が一つもありません。
そして現在でも、3月11日は大切な人を思う日にしたいと考えから、岩手日報にてビデオを作成するなど、震災復興が引き続き行われています。

 

こうした東日本大震災での経験はコロナ禍でも活かされていると、久慈社長は言います。
コロナ禍で何ができるかを考えた後、厚生労働省や国税庁から酒メーカーの作る消毒液を医療用として使用できる特殊認可が下りたのを機に、まずは消毒アルコールを作り始めます。

 

南部美人によって作られた消毒アルコールは医療機関とともに、岩手県にいる200名の医療的ケア児にも届けられています。
実際に久慈社長が消毒アルコールを届けに訪問した家庭では、新型コロナウイルスがきっかけで消毒アルコールが不足したために、ハイターを薄めて消毒を行い、手がボロボロになっている保護者の方もおられました。
その姿を見た時に、久慈社長はこうした医療的ケア児のいる家庭のために“消毒アルコールをずっと作り続ける”という決断をされます。
久慈社長の決断は会社の製造部や財務、メインバンクからも反対されるほど大きな決断でしたが、今ではスピリッツの製造免許の取得によってアルコール消毒液以外にも、ジンやウォッカの販売を開始するなど、アルコール消毒液を作り続けるという決断が新規事業への参入にも繋がっています。

 

消毒アルコールの製造以外にも、全国47都道府県の酒蔵が協力して乾杯リレーを行うなど、東日本大震災の時の経験を活かしてコロナ禍でも様々な取り組みをされています。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

質疑応答では落合先生から「酒造業界は先代世代からの経験だけでなく、他の酒蔵とも経験が共有されており、他の業界と違うように感じる。こうした酒造業界の地域を超えた横の繋がりが危機を乗り越える原動力になっているのでは」という質問に対し、「酒造業界は地域によって水も米も人も違い、それぞれがそれぞれの想いを貫いているから、仲が良い。また、他の酒蔵の先代から知恵や経験などの恩を受けることも多く、さらに他の酒蔵の先代から受けた恩はその酒蔵の次世代に返していくという考えが根付いている。こうした世代を超えた恩のお返しが酒造業界の最も素晴らしい文化だと思う」と久慈社長よりご回答いただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は9月14 日に、1901年創業の平山建設株式会社、代表取締役社長の平山秀樹氏にご登壇いただきます。