活動報告

【第34回100年経営研究会】事業は手段。不易流行が長寿経営を実現させるヒントに(登壇者:1851年創業/吉村酒造株式会社)

2021年12月14日

2021年12月7日(火)、第34回100年経営研究会を開催いたしました。
今回の研究会では、1851年に京野菜を販売する「松葉屋」として創業し、1896年に陸軍御用の精米・精麦業を開始、そして1917年からは酒造業を営まれている吉村酒造株式会社の代表取締役会長である吉村正裕氏をお迎えし、吉村酒造株式会社の「170年の歴史や危機管理、長寿の要因」などについてお話しいただきました。
また、100年経営研究機構からは当機構顧問で静岡県立大学教授の落合康裕先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である吉村氏の経歴からご紹介いたします。

 

<登壇者プロフィール>
吉村酒造株式会社 代表取締役会長・6代目蔵元
株式会社サイバーアシスト 代表取締役社長
株式会社ハイフィット 代表取締役会長
吉村正裕

 

1972年 京都市に一卵性双生児の次男として生まれる。東海大学開発工学部を卒業後、国税庁醸造研究所を経て1997年に吉村酒造㈱入社。
2001年に同社社長に就任。
2005年第二創業として㈱サイバーアシスト、新規創業として㈱ハイフィットを設立。
2005年から危機管理の第一人者・佐々淳行氏(故人)に師事。
現在は全国各地の公的機関や大学を中心に、DX・Webマーケティング・老舗の経営法、同族間の事業承継、中小企業の危機管理、創業などをテーマとしたセミナーや講義に年間100ヶ所以上で講師として登壇。そのほか独立行政法人中小企業基盤整備機構 中小企業アドバイザー、一般社団法人イーコマース事業協会5代目会長、楽天グループ㈱外部有識者などを務める。

 

 

第1部:トークセッション(吉村酒造株式会社 代表取締役会長 吉村正裕 氏 × 落合康裕 顧問)

今回のトークセッションでは、吉村酒造株式会社の「170年の歴史や危機管理、長寿の要因」などについて吉村会長よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

 

ポイント
1. 佐々淳行氏から教えを受けた12年間。初代内閣安全保障室長から学んだ「危機管理」
2.【のれん≠事業】“不易流行”が危機を乗り越え生き残っていくヒントに
3. 3脚経営で家業を安定させ、のれんを次世代へ伝承していく
4. 吉村酒造の3つの長寿要因

 

 

1. 佐々淳行氏から教えを受けた12年間。初代内閣安全保障室長から学んだ「危機管理」

吉村会長は初代内閣安全保障室長で、2018年に亡くなられた佐々淳行氏から12年間教えを受けていた時期があります。
佐々氏は東京大学法学部を卒業後、現在の警察庁に入庁し、「東大安田講堂事件」「あさま山荘事件」などで警備幕僚長として現場指揮を執られ、1986年からは初代内閣官房安全保障室長(現:内閣危機管理監)を務められました。
また、「危機管理」というワードを生み出した人物でもあります。

 

そんな佐々氏から吉村会長が受けた教えをいくつかご紹介します。
“危機管理には、危機を未然に防ぐための対応である「リスクマネジメント」と、すでに発生した危機への対処である「クライシスマネジメント」の2種類がある。こうした危機管理において大切なのは、悲観的に準備し、楽観的に対処すること。逆に、楽観的に準備し悲観的に対処するのは最悪である。”
“得意淡然 失意泰然(勝海舟)。得意なときほど淡々としなさい、失意なときほど胸を張れ。”
“Prepare for the worst(最悪に備えよ)”
警察官僚として国家を揺るがす重大事件を何度も対処してきた、まさに「危機管理」のスペシャリストとも言うべき佐々氏から受けた教えは、吉村会長にとって、危機に直面していた時や家業の業態転換を行う時の大きな支えとなっていました。

 

2. 【のれん≠事業】“不易流行”が危機を乗り越え生き残っていくヒントに

吉村氏が家業に戻った時、酒造業界はすでに日本酒の消費量・生産量は減少傾向にあり、酒販免許の規制緩和により酒販店の廃業・倒産が相次いでいるという状況でした。
それだけではなく、1992年に日本酒の級別制度が無くなり、大手が普通酒に参入してくるようになったことで価格破壊も生じていました。
こうした状況を打開するための手段として、吉村会長の父・源一郎(5代目)氏は「伏見の酒」から地酒になるために蔵元を但馬に移転することを決断されます。
そして2000年に但馬の酒蔵が完成しますが、但馬の酒蔵が建ち、地酒として販売することができるようになったその後も苦境は続きました。

 

・問屋の合併によって得意先の酒販店が激減(2000〜2001年)
・父・源一郎氏が病死(2001年)
・蔵元の建設費用など8億円の資金を借りていた某メガバンクから貸し剥がしを受ける(2002年)

 

特に、銀行からの貸し剥がしに関してはなんとか3年の返済期間を確保できたものの、負債を全額返済するために、不眠不休で吉村酒造の再建に尽力されました。
しかし当時の吉村酒造は、業績が良かった1970年代から2000年までの約25年の間で、強みが弱みへ変わっており、酒造業だけでは8億の負債を全額返済することは困難な状況でした。

 

そこで、国税庁時代の先輩に相談を持ちかけたところ、“のれん=事業ではない”ということに気づき、改めて家業の約150年の歴史を見てみると
「京野菜の販売(1851年)」→「陸軍御用の水精米・精麦業(1896年)」→「酒造業(1917年)」
と事業は変遷してきており、なおかつ家訓の一つには「不易流行」があることを再認識します。
「松葉屋 吉村家にとって酒造業という事業は手段であり、のれんを継承していく中で事業は変えていい」ということに気づけたことで視界が開け、早速、負債を返済して家業を存続させるために下記の3つのアクションをとられました。

 

1.資産の売却(在庫のお酒・設備・酒蔵・土地・ECサイト・プライベートブランドを売却)
2.コスト削減(醸造研究所時代の繋がりをもとに日本酒を仕入れ、社員の転職支援を行う)
3.業態転換(日本酒の製造・販売からも手を引き、借金の返済と従業員全員が転職)
その結果、1年繰り越して2年で8億円の負債を全額返済することができ、第2創業(新規事業)への転換を実現されました。

 

 

3. 3脚経営で家業を安定させ、のれんを次世代へ伝承していく

負債を返済し新規創業への転換を実現された吉村会長は、「Prepare for the worst(最悪に備えよ)」という佐々氏からの教えのもと、単一事業へ依存するのではなく3つの事業を柱にした“3脚経営”を進めます。
そこで事業の土台・基礎となるのれん、その中でも特に家訓の一つである「利真於勤」をもとに新規事業の方針を決め、これまでの吉村酒造の弱点も踏まえて「人材派遣業」「配ぜん業」「業務請負業」の3つの事業を始められました。

 

業態転換をスタートして以降は売上を倍増させることができ、2008年にリーマンショックの影響を受けて「人材派遣業」「配ぜん事業」の2つの柱が頓挫してしまったものの、「パソコン教室」と「ネット通販スキルを生かしたコンサル事業」という2つの柱に素早く切り替え、その後さらにパソコン教室を講演事業へと移り変えたことで、現在では「講演事業」「コンサル業」「業務請負」という3つの柱で経営されています。
また、講演事業においては年間100本以上もの講演を行っており、会社としても年々、増収増益を実現されています。

 

4. 吉村酒造の3つの長寿要因

吉村会長が苦境の状態から家業を良い方向に導くことが出来た理由として、下記の3つが考えられます。

・のれんや家訓が代々受け継がれている
・人との繋がり
・佐々氏による「危機管理」の教え

 

吉村家では「ちゃぶ台文化」「先祖供養」などを通して家業の歴史が語り継がれることで、今日までのれんや家訓が代々受け継がれており、それによって業態転換を決断する際にも「守るべきものを守り、変えるべきものは変えよ」という不易流行の考えにもとづいて、存続に向けた大きな意思決定をすることが出来たと考えられます。
それと同時に、「他の酒造会社との世代を超えた人脈」「国税庁に勤めていた頃の人脈」など、人との繋がりについても、家業を良い方向に導く上で非常に重要な要素となっています。

 

但馬に新しい蔵元を建設する際も全国の酒造会社の仲間に協力してもらったことで、工事予算を削減できており、「もしこれだけコストを削減できていなかったら、まだ借金を返済していたかもしれない」と吉村会長は言います。
その後、このときに協力してくれた酒造会社のうち2社が経営危機に陥った際も、吉村会長は手弁当で2社の経営再建に協力し、なんとか倒産を食い止めることに成功するなど、現在でもお互いに助け合う関係性が継続されています。
また同様に、姉妹の嫁ぎ先や奥様の実家ともお互いに助け合うほど、良好な繋がりを作られておられます。
こうした“のれんや家訓が代々受け継がれている”、“人との繋がり” の2つとともに、“佐々氏による「危機管理」の教え”も苦境を乗り越える中で大きく作用しており、これらの3つが吉村酒造の長寿の要因となっていると考えられます。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

質疑応答では、「酒造業は企業不正が少ない理由」について、「1つは、酒造業は酒税の代理徴収者であること。2つ目は、国税庁の管轄であること。3つ目は、お酒=縁起物であり、信用を失ったらお酒を売ることができない。そのため、酒造業者は不祥事と倒産を一番嫌っているところがあるかもしれない」と吉村会長よりご回答いただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は12月21日に、2021年度にご登壇いただいた100年企業の御当主と後藤代表理事による今年の振り返りを予定しております。