活動報告

【第50回100年経営研究会】油や油店の歴史を後世に伝え、油を楽しむ時代へ(登壇者:文政年間創業/株式会社山中油店)

2023年1月18日

2022年8月10日(水)、第50回100年経営研究会を開催いたしました。

 

今回の研究会では、江戸後期の文政年間(1818−1830)に創業された株式会社山中油店の専務取締役である浅原 貴美子氏をお迎えし、「油と山中油店の歴史」「現在の取り組み」「今後の展望」などについてお話しいただきました。

 

また、100年経営研究機構からは当機構代表理事で日本経済大学大学院特任教授の後藤俊夫先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である浅原専務の経歴からご紹介いたします。

 

<登壇者プロフィール>
株式会社山中油店 専務取締役
浅原 貴美子(あさはら きみこ) 氏

 

同志社大学経済学部卒業。
日本オリーブオイルテイスター協会認定JOOTAオリーブオイルテイスター
NARD JAPAN アロマ・アドヴァイザー

江戸時代後期の文政年間(1818-30)創業の油専門店山中油店にて、五代目・山中平三の次女として生まれる。
2000年、夫とともに実家である株式会社山中油店に入社。
イタリアよりオリーブオイルの直輸入を始めたほか、新商品の仕入れ・開発・企画・広報を担当、プロの料理人へのアドヴァイスやコラボレーションも行っている。
油に関するセミナーや講演会の依頼も多数受けており、特に京都の老舗油店として、後世に伝えるべく、油の歴史の研究には力を入れている。

 

 

第1部:トークセッション(株式会社山中油店 専務取締役 浅原 貴美子(あさはら きみこ)氏 × 後藤俊夫 代表理事)

今回のトークセッションでは、「油と山中油店の歴史」「現在の取り組み」「今後の展望」などについて浅原専務よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

 

ポイント
1.中国から伝来し、貴族階級の食べ物から時代とともに大衆化されてきた「油」の歴史
2.家業への入社と、マーケティングに長けた5代目・平三氏から受けた影響
3.油の新たな歴史を。浅原専務が考える今後の展望

 

 

1.中国から伝来し、貴族階級の食べ物から時代とともに大衆化されてきた「油」の歴史

油の歴史は飛鳥・奈良時代までさかのぼり、中国からごま油や煎餅、唐果物などが仏教とともに伝来してきたのが始まりとされています。

油を使った唐果物などは日本に伝来した当初、神饌や仏供、貴族階級などの身分が高い人のための食べ物でした。

 

そこから、平安時代になると搾油器の発明とともにえごま油が精油されるようになり、室町時代には油座が発祥、安土桃山時代にはカステラやビスケットなどの伝来により、油を使った料理が日本でさらに普及します。

えごま油だけでなく菜種油も普及するようになり、江戸時代には天ぷら屋台が拡がったことで、丁稚や小僧のファストフードとして庶民にも油を使った食べ物が親しまれていくようになりました。

 

そして江戸時代の文政年間、山中油店は初代・平兵衛氏によって京都で創業され、創業当時は菜種油を燈明の灯り用として販売されていました。

その後、市議会議員も務められた2代目・平兵衛氏、3代目平吾氏へと継がれていくにつれて、老舗洋食店や缶詰の製造などを開業しながら土地も広げていき、過去には今の山城高校がある敷地をすべて寄付されています。

 

また、浅原専務の祖父にあたる4代目・平三郎氏は、カツ丼・天ぷらそば、マヨネーズなどが生まれ、洋食が和食にも影響をし始めていた大正時代に、サラダ油を販売し始めます。

当時のサラダ油は600gで85銭であり、お米1升が45銭であったことを考えると、非常に貴重な食品でした。

残念ながら平三郎氏は若くして亡くなられますが、お葬式には地元の小学校から全校生徒が参列するほど地域から信頼される存在であり、平三郎氏が亡くなられた後は浅原専務の祖母・トミ氏が山中油店を切り盛りされていました。

 

 

2.家業への入社と、マーケティングに長けた5代目・平三氏から受けた影響

そして祖母・トミ氏の後を継いだのが、浅原専務の父である5代目・平三氏です。

平三氏は戦時統制や配給制度から戦後の混乱期を経て、高度成長期、オイルショックを経験しており、まさに激動の時代を乗り越えられてきました。

 

時代の変化を乗り越えられてきた理由は、平三氏がマーケティングに長けている点にありました。

キャンペーンの実施や宣伝カー、新聞広告など、販売促進のために新たな企画や広報活動を次々と行われたのです。

なかには、人気さのあまり途中で終了となってしまったキャンペーンもあり、こうした数々の施策により戦争やオイルショック等の影響で受けた困難を乗り越えられてきたと考えられます。

 

しかし、飽食の時代になるにつれて”油は肥満のもと”といった考え方が拡がり、油業界全体として新たな課題に直面します。

戦後、お中元やお歳暮で定番となっていた油は以前よりも売れなくなり、同時にスーパー等が油の販売店として席巻してきたことで、油の小売店はほとんどが廃業してしまいました。

 

2000年から家業に入社された浅原専務は、こうした油業界の現状を打破するべく、ホームページやパンフレットの作成、顧客情報のシステム化、全国発送の開始など、平三氏のように次々と新たな取り組みをされました。

また、デパートやスーパーでは買えない魅力ある商品を求めて、イタリアやアメリカから質の高いオリーブオイルを直輸入したり、その質を体感してもらうためにカフェを開いて、山中油店の油を使った料理やレシピカードを提供したりもされています。

 

さらには、セミナーなどで海外の生産者の思いを伝え、スーパーで売られている商品との差別化を図りながら、油の魅力を伝えるために幅広く活動されています。

 

 

3.油の新たな歴史を。浅原専務が考える今後の展望

最後に今後の展望についてお話しいただきました。

 

油の小売店が少なっていくなかで油の新たな歴史を紡いでいくためには、油や油店の歴史を後世に伝えていくことが必要です。

そのために浅原専務は、地元の小中学生に地域や油の歴史を話す職業体験やシンポジウムなどでの講演活動を通して、油や油店の歴史だけでなく油の美味しさ・面白さ・奥深さなども伝えておられます。

同時に、取引先や近隣の飲食店などと連携して、山中油店の油を使用したレシピ、新しいパスタオイルやシーズニングオイルなどといった新商品の開発にも努められています。

 

すでに「るるぶ」などの観光情報誌への掲載やテレビ出演などもされておりますが、今後は”発信力”をさらに強化していき、地域活性化にも貢献しながら、新しいものを作っていきたいと考えておられます。

認知症予防や体に良いといった理由でオメガ3・エキストラバージンオイル・えごま油などに注目が集まり、ここ数年で油の認識に少しずつ変革も起き始めていますが、”令和は油を楽しむ時代”として「油が美味しいと感じられる幸せ」を伝えながら、コロナ禍を楽しんで乗り越えていきたいとお話しいただきました。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

質疑応答では、「油の回収やリサイクルなども取り組まれているか」といった質問があり、「もともと京都市では天ぷら油で市バスを走らせるという事業がある。山中油店としては飲食店などの事業者からの回収を仲介し、廃油業者にリサイクルをお願いしている」と浅原専務よりご回答いただきました。

 

最後に後藤先生より「今回のポイントとして、1つ目は深く極めていくこと。2つ目は情報発信で、ストーリーをどれだけ持っているか。そして3つ目は、地域とのネットワーキングが重要であると感じた。今取り組まれていることは山中油店、日本のためになることだと思うので、大きく夢を描いて頑張ってほしい」と総括をいただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は8月23日(火)に、株式会社みやじ豚の代表取締役社長である宮治 勇輔(みやじ ゆうすけ)氏にご登壇いただきます。