【第21回100年経営研究会】3度の危機を乗り越え、電子ジャーナルに革新をもたらす(登壇者:1865年創業/中西印刷株式会社)
2021年6月14日
今回の研究会では、1865年に創業し、京都府京都市で印刷業やオンラインジャーナルの作成をしている中西印刷株式会社の代表取締役社長である中西秀彦氏をお迎えし、「これまでの事業の変遷やそれぞれのイノベーションの背景と、次の100年に向けた取り組み」についてお話しいただきました。 また、100年経営研究機構からは当機構顧問で静岡県立大学教授の落合康裕先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。
登壇者の紹介
今回の登壇者である中西社長の経歴からご紹介いたします。<登壇者プロフィール>
中西印刷株式会社
代表取締役社長
中西秀彦(8代目)
1956年京都市生まれ。1980年京都大学文学部心理学科卒業。株式会社社会行動研究所勤務後、1985年父が6代目社長を務める慶応年間創業の老舗中西印刷株式会社に入社。活版専業だった同社の電算化を推進。それらの経緯をまとめた『活字が消えた日』(晶文社 1994年)を出版。印刷業界、出版業界に反響を呼ぶ。
インターネットには早くから着目し、日本の電子ジャーナル草創期にOxford UniversityPressと連携してオンラインジャーナル作成を事業化する。2013年、自身が作成した論文『学術出版の技術変遷論考』により、大阪市立大学から博士(創造都市)の学位を授与。2016年に同社代表取締役社長に就任。最新刊に『スマート老人の逆襲』(印刷学会出版部 2020年)がある。
第1部:トークセッション(中西印刷株式会社 代表取締役 中西秀彦 氏 × 落合康裕 顧問)
今回のトークセッションでは、「会社の歴史、企業理念、これまでの取り組み、新たな挑戦」などについて中西社長よりお話しいただき、対談を通じて学びました。ポイント
1. 電算写植の導入。コンピュータ漢字問題を解決し中西印刷に進化をもたらす
2. 事業承継、借金、バブル崩壊…。インターネット進出でピンチをチャンスに変える
3. 電算写植、インターネット革命に続く3つ目の危機「インドショック」
1. 電算写植の導入。コンピュータ漢字問題を解決し中西印刷に進化をもたらす
1985年に家業に入社された中西社長は入社当時の工場の様子について、完璧な職人芸で京都府・京都市・京都大学などの取引先を持っていたことから安定していると感じる一方、家業のあり方に対して「コンピュータが進んでいるのに電算を使いこなせていない今の体制は、未来の印刷業にふさわしいか」「全てが職人芸で今後さらに発展していけるのか」と疑問に感じたと言います。そうした印象を受けたことで中西印刷をさらなる長寿企業へと導くために、まずは電算写植の導入に取り組みます。
もともと写植が導入されてこなかった理由として訂正がしにくいという課題がありましたが、電算写植であれば活版よりも訂正がしやすく、またコンピュータで出ない漢字については外字製作によって解決しました。
その結果、活版と遜色がなく、中西印刷にしかできない電子組版が誕生し、1992年には活版全廃を成し遂げられています。
2. 事業承継、借金、バブル崩壊…。インターネット進出でピンチをチャンスに変える
活版全廃を成し遂げた中西社長ですが、1994年に66歳という若さで当時社長を務めていたお父様が亡くなり、その後、経営の承継を行う期間がなかったことによる経営の不慣れや、電子化による借金、バブル崩壊後の不況などが重なって業績が赤字に転落し、経営の危機に瀕します。それでも、自社の建物、土地は一族が所有、100年以上続く堅い得意先など長寿企業だからこそ有している経営商材をうまく活用し、なおかつ組版という比較的小さな市場で技術力を伸ばしたことによって大手が模倣しにくい状態を作り上げ(ニッチ戦略)、この危機を乗り越えます。
しかし1995年、印刷業界にとっては脅威となるインターネットが登場します。
ここで中西社長はインターネットへの進出を選択し、印刷業が持つ技術そのものではなく文化学術への貢献という目的に立ち返り、会社をあげて電子技術に取り組みます。
そこからイギリスのOxford Journalsと提携し、WEBデータの技術の習得とコンピュータや英語を扱える人材をかき集め、インターネットという成長分野で勝負したことによって印刷不況の中でも業績は絶好調になります。
その結果、次々と英文誌の電子ジャーナル化の仕事が舞い込み、人材の確保も容易になってきました。
このことから長寿企業の継承者は、いかにこれまでの経営商材を生かして危機を乗り越えていくかが重要であると考えられます。
3. 「電算写植」「インターネット革命」に続く3つ目の壁「インドショック」
電算写植・インターネット進出と2つの壁を乗り越え、業績を伸ばしていた中西印刷でしたが、ここで3つ目の壁となるインドショックが起こります。インドの人件費の低さや世界を制する程の技術力、英語が母国語と言える環境に対して、日本企業は人件費が高く、英語を話せない人も多いことからイギリスの工場を閉鎖し、ヨーロッパ・日本から組版を引き揚げることになります。
その後、インドの会社を味方につけようとインドの会社に下請けを発注したものの、日本の学会から理解を得られず、一方でインド側も大量発注を希望していたのもあり、日本では印刷のみで、電子ジャーナルはインドで行うようになりました。
しかし、電子ジャーナルで扱っていた英文学術誌は、日本ではライバル企業が少ないですが、国際的には大手が闊歩している大市場であり、また役所の入札励行やリーマンショックなどの悪条件も流出したことによって次第に業績が悪化していきます。
その後、中西社長は以下の3つの理由で「和文電子ジャーナル」に目をつけ、2012年に世界初の和文電子ジャーナルを作り上げました。
・日本語が必須で、英文誌とは異なり非関税障壁になる
・大手出版社が参入せず市場もそれほど大きくない
・日本の出版社は紙のビジネスモデルに固執している
そして現在は、横書きが中心のWEBにおいて、日本や中国など漢字をルーツに持つ言語圏の文化とも言える、縦書きで表記されたWEBの普及を目指されています。 2018年にはアメリカ合衆国ワシントンにて開催された電子ジャーナルに関する国際会議「JATSCON2018」で漢字の表記を国際規格とするように訴求するなど、日々、会社だけでなく業界全体の革新を目指して取り組まれております。
第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)
最後に中西社長と落合先生による対談で、「活版から電算への転換、インターネット革命の経験からインドショックの際に活かされた点」について触れられましたが、「弱みと強みを分析したこと。また老舗は含み資産が大きく、内部留保と安定的な取引先があったことで危機であっても長期的に考え、落ち着いて判断することができた」と中西社長からお話しいただき、今回の研究会は終了いたしました。次回は6月8日に、717年創業の株式会社古まんの代表取締役社長である日生下民夫氏にご登壇いただきます。