活動報告

【第32回100年経営研究会】地域のアイデンティティである相馬焼を全国・世界へ(登壇者:1910年創業/大堀相馬焼 松永窯)

2021年11月13日

2021年11月9日(火)、第32回100年経営研究会を開催いたしました。
今回の研究会では、1910年に創業された大堀相馬焼 松永窯の4代目、松永武士氏をお迎えし、「東日本大震災の影響や現在の取り組み、今後の展望」などについてお話しいただきました。
また、100年経営研究機構からは当機構顧問で静岡県立大学教授の落合康裕先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である松永氏の経歴からご紹介いたします。

<登壇者プロフィール>

 

大堀相馬焼 松永窯 4代目
ガッチ株式会社 代表取締役社長
松永武士

 

1988年、福島県浪江町生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。
明治43年に創業した大堀相馬焼の窯元に生まれる。もともと家業を継ぐ予定はなく、大学在学中にガッチ株式会社を起ち上げ、中国・東南アジアを中心にヘルスケア関連事業を展開。しかし、東日本大震災で被災し途絶えようとしていた大堀相馬焼の現実を無視できず、日本の伝統的なモノづくりの価値を、広く世界に発信したいと強く思うようになる。海外での事業は軌道に乗せた後、売却し、拠点を日本に移動。
ガッチ株式会社の事業を「伝統的産業」を扱う商社・メーカーへと転換し、家業の窯元の4代目としても活躍する。

 

 

第1部:トークセッション(大堀相馬焼 松永窯 4代目 松永武士 氏 × 落合康裕 顧問)

今回のトークセッションでは、「東日本大震災の影響や現在の取り組み、今後の展望」などについて松永氏よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

 

ポイント

 

1. 福島県浪江町の伝統工芸品「大堀相馬焼」について
2. 大学在学時に経験した事業立ち上げが家業の商品開発やマーケティングに繋がる
3. 地域のアイデンティティとして。東日本大震災で感じた相馬焼の伝統
4. 東日本大震災で得たもの失ったもの。「土着性」が今後の相馬焼のテーマに

 

 

1. 福島県浪江町の伝統工芸品「大堀相馬焼」について

相馬焼は福島県相馬市で350年前から、もともとは相馬藩の藩主・相馬氏への献上品として作られていました。
その後、相馬市の南部に位置する福島県浪江町で良質な土が採れたことから、だんだんと職人が南下してきたとされています。
そんな大堀相馬焼には「ひび割れ模様」「二重焼き」「馬の絵」という3つの特徴があります。
特に「二重焼き」は廃藩置県によって藩の保護政策がなくなり、地域外から美濃焼などの伝統工芸品が入ってきたことから、他の工芸品と差別化するために生まれた技法で、これが大堀相馬焼における1つのイノベーションともなっています。

 

また、福島県では毎年「相馬野馬追」という行事が行われるほど昔から馬の文化が残っており、大堀相馬焼にも馬の絵が描かれています。
大堀相馬焼に描かれている馬は左を向いていることから“右に出る者がいない”ということで、非常に縁起物として親しまれてきたという歴史があり、松永氏の地元である浪江町でも大堀相馬焼が一家に1つはあるというほど、今でも人々のアイデンティティとして受け継がれています。

 

 

2. 大学在学時に培ったアントレプレナー精神が家業の商品開発やマーケティングに繋がる

松永氏は大堀相馬焼 松永窯の4代目としてだけではなくガッチ株式会社の代表取締役としても活動されています。
松永氏は伝統産業を世界に広めるための専門商社であるガッチ株式会社を通して、伝統工芸品の商品開発や海外輸出などを行っていますが、もともとは家業を継ぐ気はなかったと言います。
大学に入った当時はサラリーマンのような安定した職業に就こうと考えていたものの、大学在学時に自身が地方と都会の情報格差によって大学受験で苦労したことから地方の学生向けに勉強の進め方を教えるコーチングの塾を起業したり、インターン先の社長から紹介してもらった投資家とともに、中国や東南アジアでヘルスケア関連事業を立ち上げたりするなどの経験をされたことで、家業の伝統工芸品で世界を攻めたいと考えるようになりました。

 

特に学生時代に経験したカンボジアでの事業立ち上げでは、現地と日本の文化の違い(無断欠勤、途中で業務放棄をして帰宅等)に苦労したことで、マネジメント力が鍛えられたと松永氏は言います。
こうした日本や海外での事業立ち上げの経験は大堀相馬焼 松永家での商品開発やWEB制作、マーケティングといった活動に活かされ、ろくろ職人とはまた違った面からイノベーションを起こされています。

 

 

3. 地域のアイデンティティとして。東日本大震災で感じた相馬焼の伝統

松永氏が家業を継ぐ意思を強くしたきっかけはもう一つあり、それが東日本大震災です。
松永氏が海外にいる際、日本では東日本大震災が起き、地元・浪江町は原発から放射能が漏れたことで帰宅困難地域に指定されました。
海外から一時帰国した松永氏は親戚が避難していた仮設住宅を訪れた際に、“相馬焼を見ると浪江町を思い出す”という理由から、避難者の多くが仮設住宅に相馬焼を持って帰っていることを知り、「地元の伝統である相馬焼を残さなければ」という使命感に駆られました。
そこから、原発の影響で地元には戻れないため、福島県西郷村で新たに工房を構え、松永氏も帰国後から家業を手伝い始めます。

 

・Eコマースでの販売開始

 

・宮城県の伝統工芸品「雄勝硯」と産地間コラボ
・自社商品をリブランディング
など、新しい取り組みを次々とされています。

 

また、今年の3月に建て替えられた新しい工房にはギャラリースペースが用意されており、全国の工芸品や作家さんを紹介し業界内で新たな交流が生まれることを目的に、月に1回企画展を開催されています。

 

 

4. 東日本大震災で得たもの失ったもの。「土着性」が今後の相馬焼のテーマに

こうした新たな取り組みをする一方で、「土着性」が今後の相馬焼のテーマとなっています。
震災で産地を失い窯元が散り散りになったことで、「自由な原料・技法で作れる」「しがらみからの脱却」といった良い側面もありましたが、一方で産地とは異なる仮の場所であることから土着性が失われ、“地に足がついていない”“空虚感”といった負の側面も抱えられています。

 

また、「後継者不足」や「窯元の減少」という以前からの課題と、新型コロナウイルスによる打撃もありました。
大堀相馬焼 松永窯では京都の学校で相馬焼の作り方を教えたり地域おこし協力隊制度を使って若手人材の研修を行ったりすることで後継者不足に対策を打ち、またECに注力したことでコロナ禍でもネットから売上を増加させ、流通機能の拡大にも繋げられています。
さらに今後は、今までのネットでの物販で蓄積したノウハウやデータをWEB制作やマーケティングなどのコンサルで活かし、大堀相馬焼 松永窯と同じように「後継者不足」や「産業の衰退」といった課題を感じている伝統工芸品を救っていくことを目指されています。
また、いずれは浪江町に戻って土着性を取り戻して全国・世界へ誇りになるようなモノ・コトを作り、人々のアイデンティティを作っていきたいと、今後の展望についてもお話しいただきました。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

質疑応答では、「浪江町の愛着などを考えた時に、他の伝統産業とコラボをして新規事業をしよう、新しいビジネスを起こそうといったことは考えているか」という質問について、「現在、鈴木酒造さんが旬のお魚とお酒を定期便で販売するプログラムを行っていて、それの企画と立ち上げをお手伝いさせていただいた。また、原発の処理水問題で風評被害を受けている水産業者を助けるために、鈴木酒造さんとそれぞれのお魚に合った専門酒を作ろうという話をしている」と松永氏よりご回答いただきました。

 

最後に落合先生より、「商業主義と伝統産地の両方の価値を認識しているという点で非常に貴重な存在だと思う。土着性がどういったものであるのか、どういうふうに復元していくのかという点もセットで新たなプラットフォームを提案していけるようなアントレプレナーになって欲しい」と総括をいただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は11月24日に、1337年創業の株式会社まるや八丁味噌の代表取締役、浅井信太郎氏にご登壇いただきます。