【第63回100年経営研究会】「街全体が一つの宿」、志賀直哉の文豪の街はこれからも続く(登壇者:創業350年以上/株式会社三木屋)
2023年7月20日
2023年4月26日(水)、第63回100年経営研究会を開催いたしました。
今回の研究会では、創業350年以上の株式会社三木屋の10代目主人である片岡 大介(かたおか だいすけ)氏をお迎えし、「三木屋の歴史と志賀直哉との関わり」「城崎地域の価値観」「これまでの取り組み」「次の100年にむけて」などについてお話しいただきました。
また、100年経営研究機構からは当機構代表理事で日本経済大学大学院特任教授の後藤俊夫先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。
登壇者の紹介
今回の登壇者である片岡氏の経歴からご紹介いたします。
<登壇者プロフィール>
株式会社三木屋
10代目主人 片岡大介 氏
1981年生まれ。志賀直哉の小説「城の崎にて」が生まれた旅館、三木屋10代目主人。同志社大学卒業。京都でのホテル勤務を経て2007年より家業である旅館業に就く。家業の他に、文学で街おこしをするNPO法人本と温泉や城崎案内人など、歴史を踏まえた上で現代に届ける活動を行っている。
第1部:トークセッション(株式会社三木屋 10代目主人 片岡 大介(かたおか だいすけ)氏 × 後藤俊夫 代表理事)
今回のトークセッションでは、「三木屋の歴史と志賀直哉との関わり」「城崎地域の価値観」「これまでの取り組み」「次の100年にむけて」などについて片岡氏よりお話しいただき、対談を通じて学びました。
ポイント
1.2代2作品の関わり、株式会社三木屋と志賀直哉
2.【街全体が一つの宿】共存共栄のため取り組み
3.これまでの取り組み
4.これからの100年に向けて
1.2代2作品の関わり、株式会社三木屋と志賀直哉
三木屋の名前は1492年、初代城主の別所則治氏により築城された三木城に由来します。
三木城は1580年に豊臣秀吉による三木合戦(三木の干し殺し)によって落城し、落ち延びて城崎の地にやってきた城兵の子孫が城主を偲び、「三木屋」と名付け旅館を営んだのが始まりとされています。
創業年ははっきりとは分かっていませんが、文献によると1670年(江戸時代前期)には既にあったことが示されており、350年以上の歴史があります。
しかし、1925年(大正14年)の震災により城崎地域は焼け野原になり、三木屋も崩壊。
現在の三木屋はこの時に建て直されたものです。
現在は旅館1つのみを経営しており、従業員22名、14部屋と小規模で運営されています。
城崎温泉は兵庫県の日本海側にあり、大阪や京都からでも3時間弱かかるため日帰りで行くには少し難しく、またどこかの通り道になるような場所でもありません。
そのため城崎地域に宿泊するのを目的に来る人が多いのが特徴で、特に冬はズワイガニが有名であるため、城崎の食の魅力を楽しみに来る人も多いです。
三木屋は文豪・志賀直哉氏と深いつながりがあることで有名です。
「城の崎にて」は、志賀直哉氏が1913年(大正2年)に、3週間ほど三木屋に宿泊したことで生まれた作品です。
志賀直哉氏は実家のある東京で電車にひかれ、2週間ほど入院。
その後、当時住んでいた尾道に帰る途中に城崎温泉の評判を聞き、怪我の湯治を目的に訪れました。
志賀直哉氏は「城の崎にて」を書いた後も長年三木屋を訪れており、「暗夜行路」では三木屋が新しい建物になってからの城崎地域も描かれています。
志賀直哉氏が愛用していた客室は現在も残されており、お礼の直筆はがきが残っています。
怪我の湯治として三木屋によく来ていたときは曽祖父が経営しており、はがきをもらったのは祖父の代と、2代に渡って志賀直哉氏にお世話になり、2つの作品で三木屋が描かれています。
2.【街全体が一つの宿】共存共栄のため取り組み
志賀直哉氏は1969年(昭和40年代)の一般的な温泉街が観光地化し始めた時期に、「近頃、温泉街の風景が変わり始めて、それが寂しい」と語っています。
かつて、温泉街の旅館は外湯があったため旅館内に風呂は無く、ただ寝泊りする場所でした。
しかし、医学の進歩によって温泉街は湯治から観光へ目的が変化し、ビルが建つなどで風景が変わり、旅館内に大きな風呂や売店があるなど、旅館内だけで生活が成り立つようになっています。
こうした変化の影響から、街の役割がなくなり様々な旅館が潰れました。
しかし、城崎温泉には未だに街のお風呂があります。
なぜなら城崎には「駅が玄関、通りが廊下、旅館が客室、外湯が大浴場、商店が売店。城之崎に住む者は、皆同じ旅館の従業員である」といったように、「街全体が一つの宿」という考え方が残っているためです。
この「共存共栄」を実現するために城崎地域では以下の2つが守られています。
- 外湯第一
- 売店のない宿
旅館のお風呂の大きさに制限を設けることで、旅館に宿泊されるお客さんに外出してもらい、街全体を楽しんでもらうこと。
また、旅館に売店がないことも、その一つです。
城崎地域では個人の泉源の権利をなくしており、温泉を共有財産にしているため、1日中お客さんが浴衣で歩く街並みが残されています。
3.ストーリーを持たせたSNS集客により、閑散期の低稼働率を改善
片岡氏が入社された2007年の三木屋には、「建物や設備の老朽化」「旅行会社への集客依存」「閑散期の低稼働率」という課題がありました。
そこで片岡氏が代表に就任して以降、志賀直哉氏が城崎温泉に初めて訪れてから100周年になる2013年を見据えて、抜本的な改革を進めました。
まず、登録有形文化財にも認められている歴史的建造物である三木屋の旅館を現代風にアレンジするとともに、志賀直哉氏が訪れていたかつての旅館にあった建物に図書館を新設。
集客では、歴史・文化的資源に魅力を感じる層をターゲットに、SNSでのストーリー性を持たせた情報発信により、現在では近畿地方だけでなく関東地方や海外からもお客さんが増えています。
さらに、これまで部屋食のサービスを行っていたところを、食事処を作って1品ずつ料理を提供する形に変えたことで、スタッフとお客さんとのコミュニケーションが増え、満足度の向上にもつながっています。
こういった取り組みから、カルチャー誌や女性誌などのメディアにも取り上げられるようになり、その結果、閑散期でも8割ほどの客室が埋まり、客単価は2倍強に上昇し、稼働率も30%から60%に増加。
閑散期の低稼働率の課題が改善されたことで、若手従業員の登用や通年雇用増加も実現され、2年間で赤字を食い止めるほどの成果を生み出しています。
4.これからの100年に向けて
片岡氏は次の100年間にむけて「街全体が一つの宿」のアップデートが必要だと考えています。
これまで志賀直哉氏が訪れたというだけで文学の街だとアピールしてきましたが、実際には文学に関するイベントや地域資源があまり無いという課題がありました。
そこでNPO法人「本と温泉」を立ち上げて「地産地読」を目指し、ベストセラー作家が城崎地域のためだけに書き下ろした、城崎地域でしか買えない本を出版。
ブックカバーと紙を工夫した温泉でも読める本や、特産品のカニの足を模した本、物語の中で城崎の街が広がる本を作成しています。
また「城の崎にて」の解説付きの豆本も作成し、毎年2000部ずつ、10年間売れ続けています。
他にも、予約情報の収集・管理・最適化を街全体で管理できるようにDX化をしたり、新入社員の同期不足を解消するために街全体の合同入社式・研修会を開催したりなど、新たな取り組みも進めています。
第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)
最後に後藤先生より「本日のお話は、”適度な若返り”、”小さなももの集まりであることを強みに変える”、”変えるべきものと変えないものの塩梅”の3つである」と総括をいただき、今回の研究会は終了いたしました。
次回は5月23日(火)に、株式会社シロキホールディングスの専務取締役である砂川 弘(すなかわ ひろし)氏にご登壇いただきます。