活動報告

【第25回100年経営研究会】「縁」と「ピンチはチャンス精神」が重要。丸喜ブランドを確立し、200年企業を目指す(登壇者:1895年創業/丸喜株式会社)

2021年7月30日

2021年7月27日(火)、第25回100年経営研究会を開催いたしました。
今回の研究会では、1895年に創業された丸喜株式会社の代表取締役を務める河原勢朗氏をお迎えし、いくつものピンチを乗り越えられてきた「丸喜株式会社の約126年の歴史や事業承継に関する考え方」などについてお話しいただきました。
また、100年経営研究機構からは当機構顧問で静岡県立大学教授の落合康裕先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である河原社長の経歴からご紹介いたします。

 

<登壇者プロフィール>
丸喜株式会社
代表取締役社長
河原勢朗

 

1966年東京浅草で、鼻緒問屋:河原商店の4代目として生まれる。浅草寺幼稚園、浅草小学校、明治大学附属明治中学校、高校と進み、1988年明治大学商学部商学科卒業後、明治大学大学院商学研究科博士前期課程修了。1990年丸喜株式会社入社。総務課長、管理本部長、専務取締役と歴任し、2014年代表取締役社長に就任。
27歳で浅草の花川戸一丁目町会青年部長として、浅草神社の例大祭である「三社祭」を仕切る。趣味は街道歩き、江戸五街道は全て制覇。現在は百名山制覇を目指す。

 

 

第1部:トークセッション(丸喜株式会社 代表取締役 河原勢朗 氏 × 落合康裕 顧問)

今回のトークセッションでは、「丸喜株式会社の歴史や事業承継に関する考え方」などについて河原社長よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

 

ポイント

1. 【中興の祖】3代目が苦労の末に成し遂げた偉業。鼻緒で年商全国トップに
2. 卸売からメーカーへ。オリジナルブランドを立ち上げ200年企業に
3. 丸喜株式会社・河原社長が思う事業承継とは

 

 

1. 【中興の祖】3代目が苦労の末に成し遂げた偉業。鼻緒で全国トップの売上に

創業してから126年の間、様々な苦難を乗り越えられてきた丸喜株式会社ですが、特に河原社長のお父様でもある啓介氏(3代目)の代はいくつもの苦難を乗り越え、大きく業績を伸ばすことに成功しました。

 

業績を伸ばすことができた理由として、啓介氏の努力が大きく影響しています。
啓介氏の先代である福松氏(2代目)の代は大恐慌や戦争の影響を受け、借金取りが追い立てに来るなどの苦難を経験しておりましたが、幼少時代に先代の苦難を見ていた啓介氏は、大学時代から昼間に勉強して午後から関西方面に仕入れに行き、夜行で東京に戻って朝からまた学校へ行くという生活を続けてこられました。こういった苦労の末、昭和39年には鼻緒で全国トップの売上に上り詰め、マーケットシェアでは10%、河原商店の価格が全国の価格の基準になるほどの偉業を成し遂げます。

 

また、昭和39年にアメリカの新しい小売業の形態を調査するために行われた世界流通業視察団では、イトーヨーカ堂の伊藤氏やイオンの岡田氏を含む15名のうちの一人として啓介さんも参加し、調査のために35日間米国を1週されました。
この時の視察でのご縁により、昭和38年から取り扱い始めたサンダル部門の新たな販路として量販店に目をつけ、さらに売上を伸ばすなど、鼻緒以外の販売でも功績を残されています。

 

 

2.卸売からメーカーへ。オリジナルブランドを立ち上げ200年企業に

その後も丸喜株式会社は下記のような発展を遂げています。

 

・平成10年にはサンダル供給量で全国トップに

・今では定番商品となっている「健康サンダル」を共同開発して日本で初めて世に出す

・香港のGML社と業務提携を結び、その後上海現地法人を設立

 

しかし4代目では、「大手小売業から中抜きをされて5億円を損失」「薄利多売のビジネスモデルが成り立たなくなる」などといった変化もあり、徐々に経営は悪化していきます。

 

その後、河原社長は丸喜株式会社を次ぐことになりますが、河原社長はこの状況を打破するために、「ただ仕入れて売るだけではなく、自らも企画機能を持つことが大事」という考えのもと、「フットウェア製造企画卸として新卒企画スタッフの採用」「企画開発部の立ち上げ」「ショールーム開設」「展示会」などを新たに始めます。
大手量販店は中国現地法人に任せ、丸喜株式会社はメーカーとして活動することでBtoBとBtoCの両輪で販売を行うことができ、卸売だけでなく「Nuts world」「Camomile」といった2つのオリジナルブランドの立ち上げにも成功しています。

 

そして、今後もライフスタイル提案メーカーとして「ファッションを通じて世界のお客様をオシャレにしてハッピーにする」をモットーに、丸喜ブランド(信用)を確立し、200年企業を目指していくとお話しいただきました。

 

 

3. 丸喜株式会社・河原社長が思う事業承継とは

最後に河原社長が思う事業承継についてもお話しいただきました。
河原社長が次世代へ継ぐ際に大事にしていることは、「運」と「ピンチはチャンス精神」だと言います。
丸喜株式会社にとっての「運」とは「縁」のことであり、日々の行動や先祖からの信用の積み上げによって大きくなっていきます。
また「ピンチはチャンス精神」によって変化に気づく感性とチャレンジ精神を持つことで、既存の安定した仕組みとともに新しい柱を作ることができ、それが環境適応力の向上、そして企業の存続へと繋がります。
そのため、「運」と「ピンチはチャンス精神」というこの2つを基本として、次世代に繋いでいきたいとお話しいただきました。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

最後に落合先生からの「河原社長がどのように人材育成をしているのか、また次世代に守っていってほしいものは何か」というご質問に対し、「基本の徹底と変化への対応、そして信用第一という考え方を大事にして人材育成を行っている。あとは気付きの感性を養いながら、次の時代にあったやり方に変えていってもらいたい」とご回答いただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は8月3日に、1908年創業の丸三ハシモト株式会社、代表取締役の橋本英宗氏にご登壇いただきます。