活動報告

【第55回100年経営研究会】伝統文化としての和菓子。加賀金沢の菓子文化を守り伝え、創業1000年を目指す(登壇者:1625創業/株式会社森八)

2023年4月1日

2022年12月8日(木)、第55回100年経営研究会を開催いたしました。

 

今回の研究会では、1625年に創業された株式会社森八の若女将 中宮千里氏をお迎えし、「森八の歴史」「和菓子職人を志した背景」「今後の展望」などについてお話しいただきました。

 

また、100年経営研究機構からは当機構代表理事で日本経済大学大学院特任教授の後藤俊夫先生がトークセッションの相手として登壇し、長寿企業の秘訣について学びました。

 

 

登壇者の紹介

今回の登壇者である中宮氏の経歴からご紹介いたします。

 

<登壇者プロフィール>
株式会社森八 若女将
中宮 千里(なかみや ちさと)氏

 

■略歴
2002年 石川県立金沢商業高等学校卒業
2004年 バンタン・デザイン・インスティテュート デジタルデザイン科卒業
2004年 エディトリアルデザイン事務所勤務
2007年 東京製菓学校 和菓子本科入学
2009年 同校卒業
2009年 株式会社森八入社
2010年 取締役就任
現在 19代目若女将・チーフコンフェクショナー

■資格・受賞歴
2017年 一級菓子製造技能士(和菓子)
2018年 【選・和菓子職 優秀和菓子】石川県女性初認定
2019年 【選・和菓子職 伝統和菓子】最年少・女性初認定(日本で唯一のW認定)

 

第1部:トークセッション(株式会社森八 若女将 中宮 千里(なかみや ちさと)氏 × 後藤俊夫 代表理事)

今回のトークセッションでは、「森八の歴史」「和菓子職人を志した背景」「今後の展望」などについて中宮氏よりお話しいただき、対談を通じて学びました。

 

ポイント
 1.苦難の連続を乗り越え、創業400年となる森八の歴史
 2.祖母に憧れて志した和菓子職人。石川県では女性初となる『優秀和菓子職』に認定
 3.【今後の展望】伝統文化としての和菓子を発信し、和菓子職人を目指す人材を増やす

 

 

1.苦難の連続を乗り越え、創業400年となる森八の歴史

株式会社森八は1625年に加賀藩前田家の御用菓子司として和菓子屋を始めた、石川県金沢市で最も歴史のある老舗和菓子屋です。

もともとは侍出身の家で、森八の始祖・亀田大隅氏が加賀の一向一揆で敗北したあとに、前田家の部下につき、和菓子屋を始めました。

 

その後、3代目森下屋八左衛門氏は、現在、森八で一番有名な商品である「長生殿」を生み出し、加賀藩主・前田利常公より町年寄を命ぜられるなど、加賀藩の大事な役割を担っています

12代目森下八左衛門氏は「金沢に電気を灯したい」との想いで、電気事業にも力を入れ、金沢に路面電車を通し、北陸電力の元となる会社を興しました。

このように森八は自社だけでなく地域にとっても重要な取り組みを進めましたが、公共事業に投資しすぎたことが原因で次第に経営が上手くいかなくなります。

 

経営が悪化する中、13代目・14代目と続きますが、森下家には15代目となりうる後継者がいなかったため、森下家の親戚の多け氏が嫁いだ中宮家に商売を託すことになりました。

当時は借金も多くあったことから、15代目当主となった中宮茂吉氏はかなり悩まれましたが、何度も店の前に立ってお客様を観察していると、「暖簾や商品力が低下してお客様が離れていったわけではなく、ただお金の配分を間違えていた」ということに気づき、借金も含めて森八を引き継ぐ決意をします。

 

その後、大正7年には渋沢栄一夫妻の金沢訪問の際に、新しくオープンしたレストランへ招待したり、新たに「キャンディストア」をオープンしたりと、メディアにも取り上げられつつ、さまざまなことにチャレンジしました。

大正13年には、宮内省から御用御紋花落雁の注文を受けて20万個を納品し、職人の家族や親戚まで一緒に働いて製造・出荷を行なった当時の風景は写真として残されています。

 

しかし、15代目・茂吉氏は病気、16代目・茂一氏は戦争の影響で若くして亡くなってしまい、そこからは15代夫人・多け氏と16代目夫人・芳枝氏の2人で店を切り盛りします。

この頃は、戦時中で商売を続けること自体が難しい状況でしたが、芳枝氏は森八が復活した際に職人に戻ってきてもらえるよう、森八の道具や自身の着物などを売って得た資金を手当として渡すなど、苦難の中でも職人を大切にする想いが、現在の森八の長寿経営にもつながっています

そして、17代目に久雄氏、18代目に現社長・嘉裕氏が継承されています。

 

 

2. 祖母に憧れて志した和菓子職人。石川県では女性初となる『優秀和菓子職』に認定

中宮氏が19代目若女将として和菓子職人を志し、「森八を守ろう」と思ったのには、祖母であり17代目若女将である富美子氏が影響しています

昔から森八やお菓子の歴史についてよく話を聞き、和菓子職人としても働く祖母の姿を見て、中宮氏は幼稚園児の頃から憧れを抱いていました。

 

高校卒業後はグラフィックデザインの専門学校に進学し、その後エディトリアル事務所に就職しますが、ものづくりに対する憧れは消えず、デザインの仕事を退職して、製菓の専門学校で和菓子作りについて学び直しました。

しかし、エディトリアルデザイナーとして得た知識や経験は、和菓子作りやパンフレット、パッケージデザインなどにも活かされています。

 

こうして2018年には全国和菓子協会主催「選・和菓子職」にて、石川県では女性初となる『優秀和菓子職』に認定、さらに2019年には同じく「選・和菓子職」で、最年少&女性初となる『伝統和菓子職』に認定されました。

また、上生菓子においても、2022年10月に作る際の技法から名前を付けるまでの一連の作業が文化であり、「世界でも類を見ない繊細な色彩感覚や表現方法、職人技術に特徴がある」と評価され、上生菓子が登録無形文化財として認定されています。

 

 

3.【今後の展望】伝統文化としての和菓子を発信し、和菓子職人を目指す人材を増やす

現状、和菓子業界で課題となっているのが、和菓子職人を目指す人材が減少していることです。

これまでの伝統産業では知ってもらうまで待つのが美徳とされている傾向がありましたが、今日では自ら発信しなければ伝統文化が廃れていきます。

そのため、中宮若女将は和菓子を文化として発信することで、職人になりたい人を増やせるよう尽力されています

SNSでは毎日1投稿以上更新し、現在はフォロワー8,000人に到達。

知らない人がいつでも情報を入手できるように、和菓子という伝統文化の情報発信を老舗の仕事として取り組まれています。

 

オフラインでも、幼稚園や小学校、老人ホームで和菓子づくり体験教室を実施するなど、地域の方々に密着したイベントの企画・開催にも努められています。

さらに、金沢の小学校では必ず和菓子の授業があり、座学や体験教室、フィールドワークを通して勉強するなど、街ぐるみで和菓子という伝統文化を残すような取り組みも。

実際に、小学校での和菓子の授業をきっかけに森八に就職した方も居り、実績としても表れています。

 

今後については、加賀の伝統を未来に伝え、和菓子屋になった人に誇りを持ってもらえるような活動を続け、森八の職人やスタッフになりたい人を増やしていけるような魅力ある企業になることを目指されています。

また同時に、自社のブランドや和菓子の文化を、国内だけでなく海外の方にも伝わるように情報発信し、付加価値を高めていきたいとお話いただきました。

 

 

第2部:質疑応答・総括(総括・学びのポイントを整理)

最後に後藤先生より「今回のポイントとして、1つ目は和菓子は総合芸術だということ。2つ目は地域に密着して地域に愛される存在として400年の歴史があること。3つ目は自治体が一体となって支えているということを学んだ。金沢市がロールモデルとなり他の市も伝統文化を守る活動に取り組んでほしい」と総括いただき、今回の研究会は終了いたしました。

 

次回は12月20日(火)に、株式会社桜井甘精堂の9代目の桜井昌季(さくらい  まさき)氏にご登壇いただきます。